ジム・ロジャーズ中国の時代

ジム・ロジャーズ中国の時代

ジム・ロジャーズ中国の時代

米、景気対策修正法案可決

13日、景気対策修正法案が可決された。総額約7,870億ドル(約72.5兆円)。米政府はこれによりGDPを3%以上押し上げる効果を見込んでいる。

総額約$7,870億主な項目
歳出約$5,000億1,200橋や道路などのインフラ整備および科学関連
1,060教育・自治体向け支援
380環境・エネルギー向け投資
240低所得者層向けの生活支援
1,930失業者支援、医療保険助成
減税約$2,870億1,160所得減税(個人で$400、夫婦で$800)
140高齢者などの生活支援
140大学進学者の負担軽減
80住宅・自動車の購入促進
50失業手当の課税控除
700中間層の所得税負担の軽減
200代替エネルギー投資促進

私の履歴書(鳥羽博道-14)

 日本で飲食業のコンサルタントとしては一流とされていた方がいた。当社の社員が非常にその方にかわいがられており、その人がコンサルティングをする店のコーヒーの取引を紹介してくれた。中には成功しない店もあった。もっとも企業がサイドビジネスとしてやる分には失敗しても店を閉じるだけで済む。
 しかしある時、ご主人を亡くした一人の女性が、その保険金でその後の生計を立てたいと考え、そのコンサルタントの指導の下、東京・溜池で喫茶店を開業する事になった。私もオープン時に見に行った瞬間、これはうまくいかいなと感じた。案の定、その店はうまくいかず、いつしか資金も底を突き、その方はノイローゼに陥ってしまった。
 しかしコンサルタントは何も手を打たず、そればかりか、今でも高価だが、当時はそれこそ超高級の外車であった白いジャガーを乗り回し、自分の愛人に店をやらせていた。私はそれを知って大変義憤を感じ「この人は人の生き血を吸う吸血鬼だ」と思った。そのコンサルタントには十分なお礼をし「これからは得意先を紹介して頂かなくても結構です」と話した。
 私はこんな不幸な人ができていい筈はない、こういう不幸な人を作らない為の手本となる店を作ろうと考えた。
 また、これからの時代を考え、売り上げの限界が早く来る喫茶だけではなく、店頭でコーヒー豆も販売するコーヒー専門店。その時のコンセプトは「健康的で明るく、老若男女ともに親しめる店」とした。
 その当時の日本の喫茶店というと、家庭の主婦や高校生は入店できなかった。薄暗く、かなり不健康な店が多かった。名曲喫茶、ジャズ喫茶などのほか、同伴喫茶や美人喫茶といった風俗営業まがいの店もかなりあった。私は老いも若きも男女の差別無く入れる店を目指す事にした。
 その当時私は世田谷の弦巻に住んでおり、ある日、家内と三軒茶屋まで一緒に買い物に出かけた。常々どこかに貸店舗は無いかと考えていた為、十二坪の貸店舗が目にとまった。将来のレギュラーコーヒーの販売という事も考え、高級住宅街を控えた商店街という風に目標を定めていた事もあり、ここに一号店を開こうと決めた。
 自分の趣味に走らない、お客様の立場に立った店作りという事を念頭に置き、当時有力なデザイナーに設計を依頼した。その設計者は人気がある為、なかなか設計に取りかかってくれない。
 物件の家賃は支払っている為、もうこれ以上待てないと思い、品川にある事務所に夕方六時に行き、夜の十二時までじっと待った。ようやくこちらを向いて「そろそろやろうか」という事になり「鳥羽さん、どうしたらいい?」と聞かれた。時間もなく、それまで自分なりに考え抜いていた事もあり「図面を描いていたら遅くなります。スケッチだけを描いて下さい」と頼んだ。
 私の思う店作りを伝え、設計者は朝五時までかけて描き上げてくれた。そのまま新宿にある内装業者の所に行き。
 「このスケッチを早急に図面化してください。そして急いで見積もりを作って頂きたい」と申し入れた。結果的に自分の思い通りの素晴らしい店が出来た。


---日本経済新聞2009年2月15日

ファミリーポートレート

ファミリーポートレイト

ファミリーポートレイト

一 原初の記憶


 ----あたしは、いま、五歳。
 庭の、暮れていく菫色の空と、春の風にあおられて左から右に散っていく色とりどりの花びらを眺めているところだ。


 その庭は、庭というほどおおきくて立派なものではなくて、小屋の裏側にある空き地に住人たちが華やパンジーやチューリップを植えただけの空間だった。でも子どものあたしには、ちいさいもおおきいも、立派もみじめもわからなくて、小屋の、二メートルぐらいしかない縁側に腰かけて、いつまでも花と、風と、空の色の変化をみつめていた。
 小屋、というのは二階建ての住宅で、すでに崩れかけていて、住人が動くたびに女の悲鳴のようにキーキーと鳴った。一軒に、確か、五世帯。細長い長屋で、カステラを切り分けたようにまっすぐ五つに仕切られていて、それぞれ、一階には台所とトイレが、二階には六畳間かひとつあって、勾配が急でやけに薄暗い螺旋階段でつながっていた。うちは生活保護を受けていたし、隣も、隣も、そうだった。汚いカステラみたいな小屋はその辺りに十個ぐらい固まって建っていて、町の人だちから、通称・コーエーと呼ばれていた。公営住宅、の意らしい。それは地元では差別語だった。
 お風呂はみんなで使う外風呂で、ベニヤ板でぐるっと外界から守られていた。男だちから覗かれないようにと女どうしで助けあっていた。
 あたしの、人生最初の記憶。五歳で、女で、コーエーの住人で、縁側の壁にもたれて散っていく花びらにみとれてる。

「冒頭一行だけが、五歳の女の子コマコの地の声だと解釈して下さい」と説明されなければ、その後に続く語り口と語彙は五歳の女の子のものとは到底思えないために物語に入り込めない。先を読む気にならない。
語り口の違和感は一読瞭然のこととして、齢不相応な語彙は例えばこれら。

  • 「住人」
  • 「世帯」
  • 「六畳間」
  • 「勾配」
  • 「螺旋階段」
  • 生活保護
  • 「通称」
  • 公営住宅


桜庭一樹の読書日記は好きだが、小説を読む気にならないのは、こういった点、つまり作家の勝手な妄想を読者に信じさせようという努力が桜庭の小説には見られない点があるためだ。

松代大本営

今週のサンデー毎日(2009年2月22日号)の保阪正康「昭和史の大河を往く」、松代大本営についてだった。

大本営の松代移転の発案者が誰かについては二説あり、1つは陸軍省軍事課少佐井田正孝とする説、もう一つは井田と陸軍次官富田恭次の二人とする説だ。

松代盆地にある象山や皆神山という山々、とくに「皆神山というこの名も気に入ったのです」と(小生注:井田は)証言している。


松代大本営―歴史の証言

松代大本営―歴史の証言

フィールドワーク松代大本営―学び・調べ・考えよう

フィールドワーク松代大本営―学び・調べ・考えよう

★第2次松代大本営学術調査報団編『松代大本営 皆神山地下壕学術調査報告書』二〇〇六年

三日坊主を克服する4つのカギ

そもそも脳は飽きっぽくできているので三日坊主は特に珍しいことではない。

どうすれば三日坊主を克服できるのかについて脳科学者の池谷(いけがや)氏のアドバイスを参考にしてみる。

「やる気」「気合い」を生み出す脳の部位に淡蒼球なるものがある。ここを動かせばいいのだが、この淡蒼球は自分の意志で直接動かすことができない。

ではどうすればよいか?答えは脳を騙すこと。

淡蒼球を動かすには4つのスイッチがある。

  1. Body(身体)
  2. Experience(経験)
  3. Reward(報酬)
  4. Ideomotor(イデオモータ)
1. Body(身体)

進化の過程では、脳は身体よりも後から生まれた部位であるため、身体の影響を受けて働く。つまり脳を先にではなく身体を先に動かしてこそ、脳が働く。

  • 「楽しいから笑う」のではなく「笑うから楽しい」
  • 「やる気が出たからやる」のではなく「やるからやる気が出る」
  • 休日と雖も起床のリズムは崩さない方がいい
2. Experience(経験)

よほど重要なことでない限り海馬にまで情報は届かない。海馬に情報を届けるためのカギは「いつもと違う要素を取り入れる」こと。

  • 「形から入る」
  • 「身銭を切る」
  • 「人を喜ばせるためにやる」
3. Reward(報酬)

報酬は脳の部位テグメンタを活性化させ、テグメンタはドパミンを出し、ドパミン淡蒼球に直接働きかける。
ご褒美(報酬)としては、お金や食べ物よりも、達成感がきく。
目標を小さく設け、達成感をなるべく味わうようにすればよい。

4. Ideomotor(イデオモータ)

強く念じることで無意識のうちに身体が動く。
成功のイメージを描き「なりきる」ことが効果的だ。