新聞

私の履歴書(鳥羽博道-27)

上場企業の創業経営者七人で「だるまの会」という会を作っている。だるまと言うと七転び八起きという言葉がすぐに思い出されるが、だるまは転ばないという我々の考えから名付けられた。 メンバーはAOKIホールディングスの青木拡憲氏、カプコンの辻本憲三…

私の履歴書(鳥羽博道-26)

六十五歳で社長を引退しようと考えていたが、それから遅れること三年。六十八歳になり、社長になってから四十四年の歳月が流れていた。社長としてやるべき事はすべてやったとの思いがあった。 千葉県の船橋工場も生産の限界を迎え、天災と今後の成長を考え、…

私の履歴書(鳥羽博道-25)

今までに、いくつかの言葉が私の支えになってきた。 自分で商売を始めて間もない頃の事。仕事に追われていた私は、社員の動きが極めて緩慢に見えた。今思えば社長と社員では立場が違い、働き方が違うのも当然なのだが当時は苛立ちを感じた。 その時「長の一…

私の履歴書(鳥羽博道-24)

日本企業の多くにとって一九九〇年代は「失われた十年」となった。しかしドトールコーヒーにとって逆に着々と成長を遂げた十年間だった。ドトールコーヒーショップ(DCS)が年々増えたという事だけではなく、一九九三年、コーヒー焙煎業界初の株式店頭公…

私の履歴書(鳥羽博道-23)

私が日頃尊敬し、目をかけて頂いていた方から、ハワイのチョコレート会社を買収しようと思う、ついては君も一緒にやらないか、との誘いを受けた。私はハワイに足を運び、先方の会社も見学したが、あまり興味がわかず、話は立ち消えになった。 この時、その方…

私の履歴書(鳥羽博道-22)

オーナーの性格等により経営不振に陥る店もあった。どう対応したらいいか分からず非常に苦しんだ。悩みに悩んだ揚げ句、電撃の如く「店の魅力、商品の魅力、人の魅力」と閃いた。ごく当たり前の言葉だが、目の前がサーと開ける思いがした。 店の魅力とはお客…

私の履歴書(鳥羽博道-21)

ドトールコーヒーショップ(DCS)がようやく軌道に乗りかけた頃、欧州最大のコーヒーチェーンであるドイツのチボーの社長と企画室長が私を訪ねてきた。当社の店を見学したいというので、出来たばかりの下北沢の店に案内した。「写真を撮っていいか」と聞…

私の履歴書(鳥羽博道-20)

なぜ一千坪もの工場用地を買い、それまでの三十倍の規模の工場を建てたのか。当時、東京近辺では、工場用地を見つけるのが年々困難になっていた。ドトールコーヒーショップ(DCS)をチェーン展開する中で、工場用地の確保が負担になり「ほどほどの商売で…

私の履歴書(鳥羽博道-19)

ある日、知人の紹介でモスバーガーの創業者、桜田慧さんとお会いした。 桜田さんはちょうど、業界団体の米国視察旅行から帰った所だった。宿泊したビバリーヒルズの最高級ホテルで飲んだコーヒーが非常に旨く、同行した大手焙煎会社の社長に「これと同じ味が…

私の履歴書(鳥羽博道-18)

一杯百五十円でコーヒーを売ると決めた後「さあ、百五十円で商売をやっていくにはどうすればいいだろうか」と考えた。まず、すべてを自動化し人件費を削減しなければならない。フードメニューも充実させなければいけない。 店は九坪しかなく、本格的なキッチ…

私の履歴書(鳥羽博道-17)

「日本の喫茶業も立ち飲みの時代が来る」という予見を欧州視察から得て、その事をずっと思い続けながら十年の歳月が流れた。その間に、高度経済成長の道を歩み続けてきた日本は初めてのオイルショックに遭遇した。 知り合いの商社マンが「会社員の可処分所得…

私の履歴書(鳥羽博道-16)

コロラドを始めた一九七〇年代前半、日本の経済成長と共にコーヒー一杯の値段は毎年のように値上がりしていった。諸資材や人件費が上がるのだから至極当然だ。この事を不思議に感じる人は業界に殆どいなかった。 危機感の強い私は、値上げをしていくうちに、…

私の履歴書(鳥羽博道-15)

一九七二年(昭和四十七年)、「健康的で明るく、老若男女ともに親しめる店」をコンセプトに掲げた「カフェコロラド」直営一号店が東京の三軒茶屋に開業した。「老若男女ともに親しめると言葉で言うと簡単そうだが、私はスプーン一つ、カップ一つまで、年配…

私の履歴書(鳥羽博道-14)

日本で飲食業のコンサルタントとしては一流とされていた方がいた。当社の社員が非常にその方にかわいがられており、その人がコンサルティングをする店のコーヒーの取引を紹介してくれた。中には成功しない店もあった。もっとも企業がサイドビジネスとしてや…

私の履歴書(鳥羽博道-13)

会社を設立して二年が経ち、卸先が徐々に増えていくにつれ、私は「僕はこの若さでこれだけの事ができるのに」と思い、世間の大人が皆、馬鹿に見えてきた。 しかし卸という商売は、取引先から「明日からは要らない」と言われれば売り上げが無くなるという極め…

私の履歴書(鳥羽博道-12)

ある日再び許し難い事が起こり、それを機に自分の手で理想の会社を作ろうと考えた。それは「厳しさの中にも和気蕩々」たる会社、社長含め社員同士真剣に働き、それにより互いに讃え合い認め合う、そこに和気蕩々たるなごやかな雰囲気のある会社を作りたかっ…